恵光寺建立
恵光寺は、本願寺第8世・蓮如上人の河内布教を縁として、その第6男である蓮淳法師によって建立されました。建立時期については諸説ありますが、当寺では1470年(文明2年)にその礎が築かれたとしています。
河内一向一揆と恵光寺
織田信長と本願寺との戦端が開かれた元亀元年(1570年)。その4年後、石山本願寺攻めが本格化すると、萱振の門徒衆は本願寺方に加勢し、強固な忠誠を誓いました。恵光寺は河内一円の門徒を指揮して兵糧を集めるなど、後方支援でも大きな役割を果たしましたが、信長軍への抵抗を続けた結果、1580年(天正8年)8月に火を放たれ、伽藍は破壊されました。この戦火の中で、第4世・良慧法師はわずか27歳の若さで戦死を遂げています。
東西分裂と再興の歩み
かつては河内・大和に100ヶ寺におよぶ末寺を擁した恵光寺でしたが、1685年(貞享2年)、諸般の事情(一説には宝物を巡る相論)により、住職・寂永法師は前住職と共に寺を退去。寺宝の多くが摂津(現在の平野)へと移されることとなりました。
一時は住職不在となり衰退の危機に直面しましたが、「懸所(別院)」として伽藍と境内は守り抜かれました。江戸末期に再び住職を迎え、明治時代には本願寺より「別格寺」の寺格を認許されました。
本堂焼失と悲願の落慶
1971年(昭和46年)6月23日、不慮の火災により、320年の歴史を誇った本堂や大玄関が全焼しました。当時の住職により御本尊は無事に救い出されましたが、親鸞聖人御絵像など貴重な寺宝の多くが失われました。
しかし、この災禍に際し本願寺第23世・勝如上人より「恵光寺再建のご消息」を賜り、全国の5000人もの門信徒のご協力によって再建が決定。焼失から僅か3年後の1979年(昭和54年)、勝如上人ご親修のもと、晴れて落慶法要が営まれました。
歴代住職
初代 ― 「蓮淳」蓮如上人六男。
2世 ― 「実慧」蓮淳の二男。
3世 ― 「慶超」実慧の三男。蓮淳の孫。
4世 ― 「良慧」長島御坊・証慧の二男。藤森で戦死。
5世 ― 「良超」良慧の長男。恵光寺再興の業を終える。
6世 ― 「准良」准如上人の八男。
7世 ― 「寂永」准良の長男。萱振・恵光寺を出て平野・慧光寺(大派)を開く。
以後、萱振・恵光寺は懸所(別院・輪番制)となる。
8世 ― 「本覚」本如上人の甥。大谷本廟連枝谷に墓地あり。
9世 ― 「広円」本覚の長男。恵光寺を出る(桑名へ隠退)。
10世 ― 「峯旭」明如上人の命を受け八尾・光蓮寺より入寺。恵光寺再興の行を成す。
11世 ― 「淳信」峯旭の甥。スカウト活動始まる。本堂焼失、再建。
12世 ― 「至成」本願寺派司教。相愛大学名誉教授。
13世 ― 「真成」国際文化学博士。弟「至善」副住職。
恵光寺の境内・伝承
境内には本堂、山門、鐘楼、手水舎、庫裏が整然と建ち並んでおります。 山門は明治期、鐘楼は大正期に建立された歴史ある建造物です。一方、本堂と庫裏は1979年(昭和54年)、手水舎は2011年(平成23年)にそれぞれ再建され、伝統を次代へと繋いでいます。
現在も境内は、ボーイスカウト八尾第1団の活動拠点や盆踊りの会場として親しまれており、子どもたちの快活な声が響く、地域に開かれた場であり続けています。
柳の御坊と蓮如松 境内入口の柳は、蓮如上人お手植えの柳と伝えられ、かつて当寺が「柳の御坊」と呼ばれた由来となっています。現在の柳は五代目にあたります。また、明治期までは「蓮如松」と呼ばれる名木もありましたが、明治期に惜しまれつつも枯死しました。
念仏橋の由来 恵光寺から南へ徒歩三分ほどの場所に架かる橋は、かつて「念仏橋」と呼ばれていました。これは、当寺へ参詣する人々が、道すがら絶えず念仏を口にしていたことから名付けられたといわれています。
門徒の隆盛 「牛の毛の数は読めても、萱振御坊の門徒の数は読めぬ」――寺史にはそう記されるほど、当寺を支える門徒の多さは計り知れないものでした。
地域の道標(みちしるべ) かつて村の人々は「大坂からの帰り道は、恵光寺の屋根を目印にせよ」と語り合っていたそうです。高い建物がなく、空気の澄んでいた当時の風景を今に伝える逸話です。
「お寺の本堂でほっこりできる時間があれば」という皆さまの声にお応えし、「ほっとひといき本堂コンサート」をスタートいたしました。
記念すべき第一回は、ピアニストの辻川康子先生をお招きし、美しい音色を届けていただきました。
今後はピアノに限らず、地元の音楽家による多彩な演奏を企画していく予定です。本堂という静謐な空間で、音楽を通して心が和むひとときをお過ごしいただければ幸いです。
年3-4回の不定期開催となりますので、詳細は当ホームページにてご確認ください。(2025年10月より)
2003年、小さく産声を上げた「慧灯大師(えとうだいし)盆おどり」。かつて昭和の時代にも開催を試みながら、継続が叶わず断念した歴史を経て、待望の再開を果たしました。
当日は、恵光寺仏教婦人会のメンバーが前住職自作の音頭を熱唱。2009年からは、幼少期をこの境内で過ごされたという河内家菊水丸師匠が櫓に上がり、盆おどりを一層盛り上げてくださっています。
「慧灯大師」とは、当寺を創建された蓮如上人の別号です。コロナ禍による休会を乗り越え、2025年には第20回の節目を迎えます。創建への感謝を胸に、夏の始まりを彩る地域の風物詩として、年々賑わいを増しています。 (2025年7月)
河内家菊水丸師匠からのご相談をきっかけに、当寺では師匠と親交の深い式秀親方(元幕内・北桜関)の相撲部屋を受け入れています。
2013年から始まったこの取り組みは、2021年の大阪場所休場期間を経て、2025年で12回目を迎えました。滞在中に開かれる「交流ちゃんこ会」では、毎年多くの参拝客で境内が活気に溢れます。
もともと萱振町は相撲が盛んだった土地柄。力士たちが再びこの地で四股を踏む姿は、地域の方々に勇気を与え、世代を超えた交流の輪を広げています。(2025年3月)
八尾市役所内に事務局を置く「やおウェルカムコモンズ」からの提案を受け、恵光寺境内にて「かやふりフェスタ」を開催いたしました。
当日はキッチンカーの出店やお笑いイベントなどが行われ、終日多くの来場者で賑わいました。
本イベントは今後も毎年開催される予定です。(2024年11月より)
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